nekopara-scripts/vol1/jp/01_01.txt
2021-02-14 20:13:26 -08:00

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引越業者: 「ありがとうございましたー! では失礼しまーす!」
嘉祥: 「……ふぅ、これで荷物もあらかた届いたかな」
小さくなっていくトラックを見送って、
額に浮かんだ汗を腕で拭う。
4月になったばかりの春先とは言え、
今日は良い天気過ぎて少々暑いくらいだ。
嘉祥: 「ま、新しい門出としては気持ちの良い日だけど」
まだ看板のひとつもない、まっさらな店の外観へと顔を向ける。
白と茶色を基調とした真新しい洋風の外壁。
太陽光を店内にたくさん採り入れるための大きな窓。
そしてこの店の名前である『[ラ,1]la [ソ,1]so[レ,1]le[イユ,1]il』の文字。
冠詞が『Le』ではなく『La』の『Soleil(太陽)』。
目標にして来たあの人と同じ店の名前を見上げる。
嘉祥: 「……これからは一人で頑張らないとな」
自分自身へと言い聞かせるように小さく呟く。
これからは誰に何を言われることもない。
家の名前も今までのことも、全部まっさらになって。
全て自分自身が道を決めて、自分の責任で歩いて。
自由である代わりに誰のせいにすることも出来ない。
でも。
ほんの少しの不安もあるけど、
それ以上の期待が頬を緩ませてくれる。
嘉祥: 「……よし」
嘉祥: 「とりあえず、たくさんある荷物を片付けないと」
ひとつ深呼吸をして。気持ちを入れ直して。
真新しい匂いのする店内へと足を向けた。
嘉祥: 「……ん? 何だ、このドでかいダンボール……?」
目の前には見覚えのない大きなダンボール。
しかもふたつ。
『割れ物!』『精密!』
『絶対天地無用!』『投げたら御社潰します!』
厳重注意すぎて。もはや禍々しい。
嘉祥: 「店の備品にしても、こんなの買った記憶ないし……」
そもそも実家から持ってきた自分の荷物なんてダンボール数個分。
店の備品にしたって、こんなでかい買い物を忘れるはずがない。
そもそも宅急便の伝票がどこにも貼ってない。
注意シールだけはべったりなのに。
嘉祥: 「……まぁ。とりあえず開けてみれば分か――」
ダンボール: 「へくしょんっ!!」
嘉祥: 「なっ……!?」
ダンボール: 「…………」
嘉祥: 「…………」
ダンボール: 「にゃ、にゃ~お……?」
嘉祥: 「…………」
ダンボール: 「…………」
嘉祥: 「何だ猫か。人騒がせな猫だなぁまったく」
ダンボール: 「ほっ……良かった、ごまかせたみたい……」
ダンボール: 「危ない危ない……気をつけにゃいと……」
嘉祥: %115;「って、そんなわけあるか! 何やってんだショコラ!」
ショコラ: 「えへへ……その、お、お久しぶり……ですね……? ご主人さま……」
嘉祥: 「昨日、実家で会ったばっかりだろ」
ショコラ: 「まぁ、その……それはそうなんですけど……あはは……」
ショコラ: 「あ、それよりちょっと聞いて下さい! 引っ越し業者の人たちヒドいんですよ!?」
ショコラ: 「ショコラのこと運ぶ時にですね!?」
ショコラ: 「『このダンボール重いから気をつけろよー』とか言って!」
ショコラ: 「思わずフシャ―ッて鳴きそうになっちゃいました、フシャーッって!」
ショコラ: 「いっしょーけんめいに我慢しましたけど、ショコラはぷんぷんですよ、ぷんぷん!」
嘉祥: 「そりゃ俺の荷物に比べたら重いだろうよ……」
俺のことなど意に介さず。
ショコラが頬を膨らませる。
相変わらず脳天気というか。
目の前のことで頭がいっぱいになると言うか。
……まぁそれがショコラと言えばそうなんだけども。
嘉祥: 「俺が引っ越しの準備してる時から、姿が見えないとは思ってたけど――」
ダンボール2: 「へくちっ!!」
ダンボール2: 「…………」
嘉祥: 「…………おい」
バニラ: 「お久しぶり、ご主人」
バニラ: 「引越し業者のトラックの中がほこりっぽくて、鼻がムズムズつらかった」
嘉祥: 「なんでバニラまでいるんだよ……」
バニラ: 「ショコラがいるところ、それは私がいるところだから」
バニラ: 「それにネコは狭いところは嫌いじゃない」
バニラ: 「あと私も『こっちのダンボールも重いから気をつけろよー』とか言われた」
バニラ: 「だから私もおこ。ぷんすか」
嘉祥: 「さいですか」
嘉祥: 「とりあえずショコラもバニラもそこから出なさい」
突然届いた大荷物に頭を抱えながら。
とりあえずショコラとバニラをダンボールから出すことにした。
嘉祥: 「……こんな時に電話が繋がらないって」
嘉祥: 「時雨のやつ何やってんだ……?」
妹を呼び出し中の携帯を切る。
そもそもショコラとバニラだけで荷物に紛れ込むなんてこと出来るはずがないし。
ネコは見た目はほぼ人間。
人と同じように言葉も理解して話も出来る。
けどもネコは猫だ。
猫みたいな耳と尻尾があり、
遺伝子改良で生まれた人型の猫。通称『ネコ』。
現在では人間のパートナーとして家族として、
ネコは人間社会の中に溶け込んでペットとして生活している。
そしてウチの妹がネコ溺愛家で、
ショコラとバニラは家で飼っている6匹のネコの中の2匹。
だから勝手に自分たちだけで宅急便の手配とか出来ないし、
そもそも生き物宅配とか無理だろうし。
両親がこんなことに協力するはず無い。
ならばあと考えられるのは時雨くらいで――
嘉祥: 「……そうか、共犯者は時雨か」
ショコラ: 「にゃー、すごくキレイなおうちですにゃー♪」
ショコラ: 「新しいお布団とか家具の匂いとか好きですにゃー♪」
バニラ: 「思ってたより広い。ご主人の甲斐性ばっちり」
ショコラ: 「バニラ、あっち! あっちの部屋行ってみよう! 探検!」
バニラ: 「位置的におそらく寝室。きっとご主人の新しいベッドがあるはず」
ショコラ: 「にゃー! それは聞き逃せないね! もふもふしに行こう! もふもふ!」
バニラ: 「もふもふ了解。私もそれはいいと思う」
バニラ: 「そうと決まればれっつごー」
嘉祥: 「あんまりはしゃぎ過ぎて怪我するなよー」
ショコラ: 「はーい♪」
バニラ: 「はーい」
まったく悪意も反省の色もない2匹の背中を見送る。
まぁ店の2階にある住居スペースだから、
近所迷惑とかそういう心配はないし。
流石にもう仔ネコじゃないし、
はしゃぎ過ぎとか心配は要らないだろ。
嘉祥: 「……まぁ、そんなことより」
電話帳から一件、アドレスを呼び出す。
『水無月 実家』
嘉祥: 「……まぁ時雨に着信も残したし、後で時雨が掛け直してくるだろ」
通話ボタンを押さずに携帯をポケットに仕舞い込む。
そもそも黙って家を出て来て、
その日の内に電話を掛けるとか間抜け過ぎる。
まぁ一秒を争うような用件ではないし。
すぐに時雨から連絡があるだろう。
ショコラ: 「ご主人さまのおふとん、もふもふ完了であります!」
バニラ: 「新しいお布団、すごくふかふか。合格点」
嘉祥: 「そりゃご苦労さん」
嘉祥: 「ほら、ショコラもバニラも髪の毛跳ねまくりだぞまったく」
ショコラ: 「ふわぁ、ご主人さまのナデナデ大好き~♪ きもちーです~♪」
バニラ: 「くるしゅーない。もっと」
手櫛で二匹の髪の毛を整えてやる。
相変わらずさらっさらの毛並みで気持ち良い。
目を細めてる二匹の頭をぽんと叩く。
嘉祥: 「……で、お前らは何で引越し荷物に紛れてたんだ?」
ショコラ: 「……ご主人さまが、連れてってくれないって言うから仕方なく」
バニラ: 「ショコラが行くって言うから、ノリで」
嘉祥: 「仕方ないとかノリとか、お前らな……」
まぁ大体そんな理由だろうとは思ってたけども……。
とりあえず気を取り直して二匹へと顔を向け直す。
嘉祥: 「いいか、あのな?」
嘉祥: 「だからこれは旅行でもピクニックでもないって何度も言っただろ?」
嘉祥: 「俺はもうあの家には戻らないつもりで家を出て来たから」
嘉祥: 「家なら何も困ることはないし、時雨もいるし他のネコたちもいるんだから」
嘉祥: 「お前らはそっちの方が――」
ショコラ: 「ち、違うんです! これは、その、おっ……!」
ショコラ: 「お腹が反抗期なだけなんです!! だから違うんです!! ほんとに!!」
バニラ: 「朝早かったせいで朝ごはん食べ損なったから仕方ない」
バニラ: 「それにショコラはお腹の音もかわいい」
どうでもいい言い訳を横目に時計を見ると13時過ぎ。
そう言えば俺も朝から何も食べてなかった。
嘉祥: 「まぁ……とりあえず昼飯食ってからにするか」
ショコラ: 「うわーい! ごはん! ご主人さま大好き!」
バニラ: 「さすがご主人は話が分かる。かたじけない」
相変わらずマイペースなネコたちだった。
ショコラ: 「おっかいもの~、おっかいもの~♪」
ショコラ: 「ご主人さまとおっかいもの~っ、にゃーっ♪」
バニラ: 「最近はご主人が全然お買い物連れて行ってくれなかったから」
バニラ: 「ショコラのテンションが青天井。にゃー」
ショコラ: 「バニラだって実はウキウキしてるくせに~♪」
ショコラ: 「ほーら、ほっぺふにふにしちゃうぞ~?」
バニラ: 「ふぇっ、ショコラ、くすぐった……!」
バニラ: 「にゃ、にゃんっ……だめぇ……♪」
嘉祥: 「他の人の迷惑になるから、あんまりはしゃぎ過ぎないようにな」
冷蔵庫が空だったので食材を買いに近くの商店街へ。
オシャレなブランドショップからスーパー。
ドラッグストアの日用品まで店が並んでいる。
『ここに来れば大概のものは揃うから』
そう不動産屋に勧められただけのことはある。
嘉祥: 「てかお前らは時雨としょっちゅう買い物行ってるだろ」
ショコラ: 「むー、時雨ちゃんとご主人さまじゃ全然違うんですー!」
バニラ: 「はぁ。ご主人はほんとご主人たる自覚がなくて困る。ショコラが不憫」
嘉祥: 「いやそもそもお前らのご主人は時雨だろが」
ショコラ: 「時雨ちゃんもご主人さまだけど、時雨ちゃんは時雨ちゃんなんです!」
ショコラ: 「だからご主人さまはご主人さまなんです!」
ショコラ: 「全然違うでしょう? ね? ね?」
バニラ: 「理屈になってないけど熱意は伝わる。さすがはショコラ。ぱちぱちぱち」
嘉祥: 「……もういいや。とりあえずお店の中では静かにな」
いつもの二匹はさておきつつ。
俺は先を急ぐことにした。
ショコラ: 「ご主人さま! シャンプーはこれが良いって時雨ちゃんが言ってましたよ!」
バニラ: 「これ毛並みがさらさらになるし、すごく甘くていい匂いがする」
嘉祥: 「それはお前ら用だろ」
嘉祥: 「ウチには必要ないから置いて来なさい」
ショコラ: 「ふぇぇ……! ご主人さま、ヒドい……!」
ショコラ: 「ヒドいぶった斬りようですふえぇぇっ……!!」
バニラ: 「よしよし、ショコラ泣かないの。ご主人は酷いヒトだね」
嘉祥: 「とか言いながら、さり気なくカゴに入れんな」
バニラ: 「ちっ、ガードが堅い」
隙あらば自分たちの物をねじ込もうとしてくる二匹。油断ならん。
さっきのスーパーでも追加でひとカゴ足そうとしてくるし。
勝手に付いてきた自覚が恐ろしいほどになさ過ぎる。
ショコラ: 「えへへ♪ ごめんなさい、ご主人さま」
ショコラ: 「久しぶりのご主人さまとのお買い物でテンション上がっちゃって」
バニラ: 「ネコは素直だから仕方ないね」
バニラ: 「ご主人も素直になればいいのに。サッ」
嘉祥: 「素直とか関係ないだろ。だからさり気なくカゴにシャンプー入れんなって。戻して来なさい」
ショコラ: 「後生です! お願いしますご主人さまっ!」
ショコラ: 「何とぞ! 何とぞショコラたちのシャンプーを買って下さい!」
バニラ: 「シャンプーもない家に帰るのは悲しい。ネコ的に油髪は気持ち悪い」
女性客A: 「あのネコちゃんたち、シャンプーもろくに買ってもらえないのかしら、可哀想に……」
女性客B: 「ネコ虐待で通報した方がいいんじゃないのかしらアレ……」
嘉祥: 「周りのお客さんに誤解を与えるような小芝居しない! マジで!」
引っ越してきたばかりの土地で、
俺たちはいきなり痛い視線を集めていた。
ショコラ: 「ご主人さまとのお出かけは楽しいです♪」
ショコラ: 「思わずにゃんにゃん言いたくなっちゃいますね! にゃんにゃん♪」
バニラ: 「私たちのものは何も買ってくれなかったけど。ご主人ケチい」
嘉祥: 「ケチとかじゃない」
嘉祥: 「危うく俺は通報されるところだったし」
あの後のスーパーでも同じやり取り。
気まずくてしばらくあの商店街に行けないぞ。
……まぁネコの可愛いところと言われればそうなんだけども。
バニラ: 「ん? くんくん、くんくん……」
バニラ: 「あっちからすごくいい匂いがする」
ショコラ: 「ほんとだ、すごく香ばしくていい匂いがしますご主人さま!」
嘉祥: 「確かに。この匂いは……」
匂いのする方角へと顔を向ける。
屋台のネコ: 「いらっしゃいませー!」
屋台のネコ: 「おいしいできたてのたこやき、いかがですかー!」
屋台のネコ: 「あっつあつで、かつおぶしたっぷりのたこやき、いかがですかー!」
ショコラ: 「わぁ、ネコのたこ焼き屋さんだ! 珍しいですね、ご主人さま!」
バニラ: 「ほんとだ。小さい仔ネコちゃん、かわいい」
ショコラとバニラよりも小さい仔ネコ。
小さな手を振って愛想良く客引きをしている。
人間で言うところの12-3歳くらいの見た目。
ネコの年齢的に言えば恐らく6ヶ月くらい。
こっちに気付いた仔ネコが駆け寄ってくる。
屋台のネコ: 「ネコのおねえちゃんだ! わたしといっしょだね、にゃんにゃん♪」
ショコラ: 「うん、一緒だねー♪ にゃんにゃん♪」
ショコラ: 「のどごろごろしてあげちゃおー♪ ごろごろー♪」
バニラ: 「仔ネコは無邪気で超かわいい。はんぱない」
バニラ: 「私はナデナデしてあげちゃう。なでなで」
店主: 「すみません、ウチのネコが」
店主: 「あのネコちゃんたちの飼い主さん?」
屋台の店主が会釈をして声をかけてくる。
嘉祥: 「はい、この二匹の……」
嘉祥: 「あ、正確に言えば妹が飼い主ではあるんですが」
店主: 「すごく可愛くてお利口なネコちゃんたちだね」
店主: 「愛想も良いし、言葉もしっかりしてるし」
店主: 「ウチのはまだ7ヶ月なんだけどね」
店主: 「もうちょっとしたらあんな風にちゃんとしてくれるのかなぁ?」
ヤンチャな我が子に苦笑いで目を細める店主。
それでも仔ネコが可愛くて仕方ないんだろうなとひと目で分かる。
嘉祥: 「ウチのも元々野良だったんで正確な歳は分からないんですけど」
嘉祥: 「獣医さんが双子で9ヶ月くらいだろうってことでした」
嘉祥: 「ウチは妹が本当に教育ママでして」
嘉祥: 「昔からうるさく言ってた甲斐があるなら何よりです」
ショコラ: 「時雨ちゃんがちゃんとお勉強教えてくれたんです!」
ショコラ: 「いい子になれるようにって!」
バニラ: 「時雨、厳しい。でもお陰様で色々と覚えた」
店主: 「そうなんだ? 良いご主人様なのね」
ショコラ: 「あ、でもご主人さまはご主人さまなんです!」
ショコラ: 「時雨ちゃんは時雨ちゃんですから! ね、ご主人さま?」
バニラ: 「通訳すると、時雨は大事な友達」
バニラ: 「ご主人って呼ぶのはこっちのご主人だけってことで」
店主: 「あはは。愛されてるんだね、ご主人さまは?」
嘉祥: 「まぁ、ありがたいことに」
肘で軽く小突かれる。
照れくさいような苦笑いで返事を返す。
……外だと流石にちょっと照れくさい。
ショコラ: 「仔ネコちゃん、ちょっと上向いてごらん?」
屋台のネコ: 「うえ? こう?」
バニラ: 「隙あり。ごろごろごろ~♪」
屋台のネコ: 「ごろごろごろ~♪」
仲良くじゃれている3匹。
隣で店主がネコたちに目を細める。
店主: 「……うちの子も、もともと野良だったんだよね」
店主: 「今日みたいにたこ焼き売ってたら、お腹空かせて寄って来てさ?」
店主: 「そのまま拾って今じゃ自分の娘みたいなもんになってさ」
店主: 「店まで手伝ってくれるようになってねぇ」
店主: 「人型ネコが流行したこともあったけど……」
店主: 「普通のネコの何倍も飼うのが大変だからね」
咎めるような、困ったような。
そんなため息混じりにそうぼやく。
ちょっと前まではさして珍しくもなく街を歩いていた人型ネコたち。
それも今は愛好家が飼っているのを見かける程度になっていた。
逆に不幸な人型ネコが減ってバランスが取れた結果で、
人型ネコの飼い主として喜ばしいことだと思う。
店主: 「ほんと責任感のない連中ばっかりで嫌気もさすけど……」
店主: 「でもそいつらのお陰で、可愛い娘に会えたのかなって思うとなんとも言えないけどね。あははっ」
含みも陰もない明るい笑い声。
俺もそれに同意して頷く。
嘉祥: 「……そうですね」
ペットもきっとこうやって運命の人の元に届くんだろうな。
柄にもなくそんなことを思って笑顔で応える。
屋台のネコ: 「あ、そうだった!」
屋台のネコ: 「おねえちゃんたち、たこやきはいかがですか?」
屋台のネコ: 「あつあつで、おっきいタコが入ってて、すっごくすっごくおいしーですよ?」
ショコラ: 「すっごくおいしーたこ焼き……!」
ショコラ: 「あぅ……でも、これから帰ってごはんだから……」
バニラ: 「うん、ご主人が作ってくれるから……ごめん……」
ショコラとバニラがしょんぼりと肩を落とす。
俯いてる頭を後ろからくしゃくしゃと撫でて、
小さなたこ焼き屋さんの顔を覗き込む。
嘉祥: 「じゃあ、たこ焼き3つ。もらえるかい?」
屋台のネコ: 「たこやき、みっつ?」
大きな瞳をぱちくりとして首を傾げる。
嘉祥: 「ああ。俺と、ショコラと、バニラの分」
嘉祥: 「お願い出来るか?」
屋台のネコ: 「はい! たこやきみっつですね!」
屋台のネコ: 「ごしゅじんさま、オーダーです! たこやきみっつー!」
ショコラ&バニラ: 『「ご主人さま……!」\n「ご主人……」』
嘉祥: 「今から帰ってメシ作っても時間かかっちまうしな」
嘉祥: 「それに、俺もここのたこ焼き食べたいなと思ったし」
ショコラ: 「はい! ショコラも、もーおなかが切なくぐーぐー鳴いてました! すごく嬉しいです!」
バニラ: 「ご主人、かっこいい……!」
バニラ: 「時雨がいつも『ツンデレ実兄は良いものです♪』と言ってるだけのことある……!」
嘉祥: 「ちょっと待て、なんだそれは」
店主: 「はいはい、じゃあこっちにあるメニュー好きなトッピングと味選んでねー」
店主: 「うちのネコが遊んでもらった分、サービスさせてもらっちゃうよー♪」
ショコラ: 「うわーい! ありがとうございます!」
ショコラ: 「ショコラはマヨネーズかかってるのが好きです!」
バニラ: 「ありがたくいただきます。ぺこり。私は明太子チーズがいい」
俺の疑問が勢いで流されていく。
……まぁ、気にしたら負けかな。
そんなことを思いながら。
屋台の前でウキウキとたこ焼きを待つショコラとバニラを見ていた。
嘉祥: 「……まだ電話が繋がらないって」
嘉祥: 「今日は来客でもあったっけか……?」
時計を見ると22時を回ったところ。
あれから何度か時雨に電話をかけてみても全然繋がらず。
そのまま今に至っていた。
嘉祥: 「……こんなに長い間、時雨と連絡が取れないことなかったんだけどな」
実家のスケジュールは全く把握してないし……。
ショコラ: 「ご主人さまーご主人さまー?」
ショコラ: 「久しぶりに一緒にお風呂入りましょう! お背中流してあげますから♪」
バニラ: 「私たちの発育が良くなってからお風呂入れてくれなくなった。ご主人のエロ」
嘉祥: 「大したことない発育のくせに何を言ってんだ」
ショコラ: 「にゃにゃにゃ、にゃんですとーっ!?」
ショコラ: 「ショコラとバニラはもう立派なレディネコだって時雨ちゃんが言ってましたし!」
バニラ: 「その発言がセクハラ。ネコの尊厳を踏みにじってる」
バニラ: 「それにショコラは今ぐらいがアイデンティティ」
嘉祥: 「話題を振ったのはバニラな」
嘉祥: 「とりあえずそれはもういいから、ショコラもバニラも帰る支度しろよ」
ショコラ: 「にゃ? 帰る支度?」
ショコラ: 「ショコラの家はご主人さまのおうちですけども?」
バニラ: 「ショコラの隣が私の居場所だし」
バニラ: 「あとご主人カッコいい。何か妙に男前に見えてきた」
嘉祥: 「二匹そろってすっとぼけんな。そういうのもういいから」
誤魔化そうとする二匹をこっちに向かせる。
嘉祥: 「時雨と連絡が取れないから、俺がお前らを家まで送ってく」
嘉祥: 「だから帰る準備しろ」
ショコラ&バニラ: 『「…………」』
ショコラとバニラが俯いて顔をそむける。
実家を出て来た日に戻るなんて、
そんなの間抜け過ぎる話なのもあって躊躇してたけど。
でも背に腹は変えられないし。
そんなこと言ってる場合でもない。
黙っている二匹に向かって話を続ける。
嘉祥: 「いいか? これから店が始まって、どうなるか全然分からないんだよ」
嘉祥: 「誰も頼れない、どうなるかも分からないんだ」
嘉祥: 「そんな中で、お前らの面倒を十分に見れるか分からないだろ?」
嘉祥: 「いや、そもそも俺が自分自身の面倒だって見れるかすら危ういのに――」
ショコラ: 「…………です」
小さくて聞こえないくらいの大きさの声で。
俯いたままショコラが何かを呟く。
嘉祥: 「ん? なんだって?」
顔を近づけてもう一度聞き返す。
ショコラ: 「嫌ですー! ショコラは絶対に帰りませーーーんっ!!」
ショコラ: 「そんなこと言うご主人さまは嫌いですーーーー!!!」
嘉祥: 「うわっ!? あ、ちょっ! おい、ショコラっ……!?」
バニラ: 「私も脱兎のごとく、いや脱ネコのごとく離脱」
嘉祥: 「あっ! ちょ、こらっ!」
嘉祥: 「バニラまで逃げんなってば!!」
ショコラ: 「ほーらほーらご主人さまー、こっちですよー?」
ショコラ: 「ショコラはこちらにございますーあはははっ♪」
嘉祥: 「危ないから走り回るなって! 転んだら怪我するだろ!」
バニラ: 「ネコにそんな心配はご不要。人型でもネコはネコ。さささっ」
嘉祥: 「ショコラはともかく、お前は運動てんでダメじゃねーか!」
嘉祥: 「こらっ! 捕まえたぞショコラ!」
ショコラ: 「にゃ゛ーっ! ご主人さまのえっち!! どこ触ってるんですかー!!」
バニラ: 「ご主人、ショコラの胸モロ触ってる。もう鷲掴み」
嘉祥: 「ち、違うって!! お前らが逃げまわるからだろ!?」
ショコラ: 「にゃーん、隙ありですっ!」
嘉祥: 「って、あ、こらっ! まだ逃げるか!」
嘉祥: 「くそっ、バニラ捕まえたっ!」
ショコラ: 「こちょこちょこちょこちょこちょー♪」
嘉祥: 「ちょ、ショコラやめ! ちょマジでくははショうわはははははっ!!」
バニラ: 「ナイスアシスト、ショコラ。ささっ」
嘉祥: %115;「だからお前ら逃げんなってーーーーー!!!!」
まったく言うことを聞かない二匹に翻弄され続けながら。
こうして引っ越し一日目の夜は更けていった。
嘉祥: 「とりあえず今日だけは泊めてやるけど……」
嘉祥: 「でも来客用のベッドも布団もないぞ?」
んなことやってる間に23時を回って0時前。
今から実家に連れて行っても家の全員寝てるのは間違いない。
一縷の望みだった時雨からも連絡は結局なかったし、
明日俺が連れて帰るのが一番確実だと観念。
ショコラ: 「もちろんご主人さまのベッドで寝ますー♪」
バニラ: 「私もご主人のベッドで我慢する」
……しかもちゃっかりパジャマまで持ってきてるし。
どこまで計画的な犯行なんだ、こいつらは……。
嘉祥: 「そうか。お前らはそれで、俺はどこで寝るんだ?」
ショコラ: 「えぇっ!? 一緒に寝てくれないんですか!? この期に及んで!?」
バニラ: 「ご主人はヒトの男子なのに往生際が悪い。順番はご主人→ショコラ→私でいい」
ショコラ: 「にゃは~♪ ご主人さまとバニラに囲まれて幸せにゃ~♪」
嘉祥: 「勝手に話進めんな」
嘉祥: 「ひとつのベッドで3人とか狭過ぎるだろ」
ショコラ: 「じゃあ押しかけたのはショコラたちですし、ここでいいですよ」
ショコラ: 「ネコらしく丸まって寝ますし」
バニラ: 「贅沢は言わない私たち、超健気。ネコの鑑。こんな感じで」
カーテンすらない空き部屋の床。
2匹とも寝転がって丸まって見せる。
嘉祥: 「……健気とか通り越して不憫過ぎる絵面だな」
ショコラ: 「お引っ越ししたばかりで、ダンボールたくさんありますよね?」
バニラ: 「おうち作ったらあったかいって聞いたし、何とかなる気がする」
嘉祥: 「それは特殊な人たちの話な」
どこでそんな知識を仕入れてくるのか、このネコたちは。
まぁ時雨の部屋で普通に本読んだりテレビ見たりしてたしなぁ。
ショコラは漢字に弱いから絵本ばっかりだけど。
嘉祥: 「まぁいい。お前らは俺のベッドで寝てろ」
嘉祥: 「4月の夜はまだまだ冷えるから」
ショコラ: 「そしたらご主人さまはどうするんですか? ショコラの隣?」
嘉祥: 「俺は居間のソファで寝るからいい」
嘉祥: 「ソファなら一人は寝れるし、いざとなればエアコンもあるしな」
ショコラ: 「ダメですよ! それならショコラがソファで寝ますから!」
ショコラ: 「ご主人さまはバニラと一緒にお布団で寝て下さい!」
バニラ: 「私こそソファのが落ち着く。ショコラとご主人でベッド使えばいい」
飛びかかるように俺に詰め寄ってくる。
2匹の頭に手を置いて、はっきりと強い声で伝える。
嘉祥: 「いいか? 俺がソファで寝る、お前らは俺の部屋で寝る」
嘉祥: 「これは主人の命令だ。いいな?」
ショコラ: 「あう……ご主人さま……」
バニラ: 「ご主人……」
わざとそんな言い方をする。
二匹とも何かを言おうとはしては言い淀んで。
最後は俯きながら申し訳なさそうにしょげる。
ショコラ: 「……ごめんなさい、ご主人さま」
バニラ: 「……ごめんなさい、ご主人」
絞りだすような声と泣きそうな顔。
その素直さが逆に罪悪感になって。
チクリチクリと胸を刺してくる。
その痛みを溜息で吐き出して2匹の頭を撫でた。
嘉祥: 「ほら、行くぞ」
ショコラ&バニラ: 『「はい……」』
嘉祥: 「おやすみ。何かあったらすぐに呼べよ」
ショコラ: 「はい。おやすみなさい、ご主人さま」
バニラ: 「おやすみ、ご主人」
元気のない二匹をもう一度優しく撫でる。
嘉祥: 「また明日な」
そう言い残して、部屋の電気スイッチに指を掛ける。
ショコラ: 「……ご主人さま」
ショコラ: 「……その、ほんとにごめんなさい。迷惑を、かけてしまって……」
暗い部屋の中、消え入りそうな声が微かに響く。
さっきよりも鋭く胸が重く痛む。
その痛みを飲み込んで、明るくそう答える。
嘉祥: 「一日くらい別に大丈夫だ。気にしなくていい」
ショコラ: 「ご主人さま……」
嘉祥: 「今度こそ、おやすみ」
嘉祥: 「……やっぱり、情だけで動いちゃダメだよな」
ソファに身体を預けて。
天井を見上げながら溜息を吐く。
ここで俺が情にブレたら、
結果的にもっと悲しませることになる。
だから今は優しい言葉も、期待させるような言葉も。
口にしたら全部が嘘になってしまうから。
嘉祥: 「……女々しくてカッコ悪いな、我ながら」
自分自身へと言い訳を重ねて自嘲しながら、
目を閉じて眠気が来るのを待ち続けた。
時雨: 「その件に関してはショコラとバニラの意志を尊重したいと思います」
時雨: 「ショコラとバニラがちゃんと納得したら迎えに行きますので」
ようやく繋がった電話口。
交渉の余地なくバッサリと切り捨てられる。
嘉祥: 「いや時雨、ショコラとバニラが納得したらって言っても……」
時雨: 「ところで兄様。この妹めに、今朝の愛のささやきを」
嘉祥: 「毎朝の習慣みたいなこと言ってんな」
嘉祥: 「そんなことより――」
時雨: 「あ、すみません。お父様から呼ばれましたので失礼いたします」
時雨: 「愛してますわ兄さま。ではまた」
嘉祥: 「あ、ちょ! 時雨……!」
嘉祥: 「…………マジでか」
無慈悲な電子音が響く携帯電話を見つめる。
……時雨と連絡さえ付けば、すぐに解決すると思ってたのに。
ショコラ: 「はむ、んぐんぐんぐ、朝ごはんおいしーですね!」
ショコラ: 「ご主人さまのごはんはいつでもおいしーですにゃー♪」
バニラ: 「ショコラ、ほっぺにケチャップ付いてる」
バニラ: 「芸術的にかわいい。舐めてあげちゃう。ぺろぺろ」
当の本人たちはサンドウィッチを満足そうに頬張っている。
ちなみに中身はトマトとチーズとレタス。
それに半熟の目玉焼きを挟み込んだシンプルなもの。
朝食だったらまぁこんなもんだろ。
嘉祥: 「お前ら、今日こそは家に帰るんだからな?」
ショコラ: 「ご主人さまは、ショコラたちといるの楽しくないですか?」
ショコラ: 「ショコラは楽しいですよ? もーそれは今世紀最大級に!」
バニラ: 「昨晩はご主人だって結構お楽しみだったくせに」
嘉祥: 「わざわざ紛らわしい言い方しなくていい」
その脳天気な様子に溜息。
ついでに空いてるグラスに牛乳を注いでやる。
ネコの食べ物は基本人と同じでいいからそこは楽だよな。
好き嫌いはもちろんそれぞれにあるけども。
嘉祥: 「昨日は結局ほとんど荷物の片付けもしてない」
嘉祥: 「それに今日からは本格的に開店準備が始まる」
嘉祥: 「だからのうのうとお前らと遊んでる時間もないの。大人しく帰れ」
俺もサンドウィッチに手を付けながら二匹に言い聞かせる。
ショコラ: 「……ここにショコラがいたら、ご主人さまは迷惑ですか?」
サンドウィッチを皿に置いて、
昨日と同じ上目遣いで俺を見る。
嘉祥: 「ああ、迷惑だ」
俺もハッキリと答える。
ショコラ: 「……そう、ですか……そう、ですよね、やっぱり……」
さっきよりも肩を落として。
頭の上の耳も一緒にしょんぼりとうなだれる。
バニラ: 「ショコラ……」
バニラも茶化すことも出来ず、心配そうな顔をするだけだった。
嘉祥: 「…………」
昨日の夜と同じ種類の痛みが、
胸をじくじくと刺し込んでくる。
すっかり冷め切ったコーヒーカップを傾けて、
判断を誤らないよう自分の感情を鈍らせる。
ショコラ: 「……それでも」
ショコラ: 「それでも、ショコラは……ご主人さまのところに、いたいです……」
いつもはピンと張ってる耳を垂れ切らせて。
それでもショコラがはっきりと意志を口にする。
バニラ: 「ショコラがいるなら、私もここにいる」
バニラ: 「……私もここにいたいと思う」
バニラもいつも通りの無表情を崩さずに。
でも自分の意志を強く俺に向けてくる。
ショコラ: 「…………」
バニラ: 「…………」
……こんなにショコラとバニラが言うことを聞かないことは、記憶にないな。
頭の端でそんなことを思う。
でも俺も流されるくらいなら、
始めからこんなこと口にしない。
嘉祥: 「……いいか、だからな?」
嘉祥: 「ん?」
食器業者: 「ご注文ありがとうございます、ロイヤルウッドです」
食器業者: 「ご注文頂きましたティーセットの配達にお伺いしました」
食器業者: 「ではこちら、お店の中に運んじゃいますね」
食器業者: 「こちらのダンボールで全部ですね」
食器業者: 「では間違いなければ、受領書にサインを頂いてもよろしいでしょうか?」
ハキハキとした笑顔で伝票とペンを差し出される。
嘉祥: 「そうですね、えっと……」
受け取った伝票を改めて確認する。
嘉祥: 「…………」
嘉祥: 「……どうも、自分が頼んだものと違うみたいなんですけども」
食器業者: 「……え、本当ですか?」
食器業者: 「それは、品物が違う……ということでしょうか?」
嘉祥: 「いえ、頼んだものも確かに入ってるみたいなのですが……」
店内に積まれたダンボールへと視線を向ける。
小さな店内に積まれたダンボールの山、山、山。
むしろ店内がほぼダンボールになっていた。
嘉祥: 「見ての通り、ウチではこんなにたくさんの食器は必要ないので……」
食器業者: 「す、すみません! すぐに本社に確認しますので!」
食器業者: 「少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか!?」
食器業者: 「大変申し訳ございません……!」
食器業者: 「こちらのミスで、別の注文書と混じってしまっていたようでして……」
食器業者: 「水無月様の方もすぐにご入用と思いますので……」
食器業者: 「もしよろしければ、ご注文分の食器を受け取って頂ければと思うのですが……」
嘉祥: 「注文分を受け取れって……」
嘉祥: 「……え? この中からですか?」
そびえ立つダンボールの山。
思わず言葉に詰まる。
どれも一様に同じ箱なわけで。
中身を開けてみるまで何が入っているのか分からない。
しかも伝票を見ればどれも最高級のティーセットや食器。
なので、扱いにも細心の注意を払わないととんでもないことになる。
嘉祥: 「あの、確かに開店準備もあるので今日もらえたら嬉しいですけども……」
嘉祥: 「……今からこれを全部って、相当時間かかりますよね?」
食器業者: 「もちろん私もお手伝いさせて頂きますので!」
食器業者: 「私も次の配達に行かないといけないですし……!」
嘉祥: 「いやそんなプレッシャーかけられましても……」
この量じゃ軽く見ても2時間はかかるだろうし……。
かと言って再配達してもらっても二度手間だし……。
嘉祥: 「…………ん?」
ショコラ&バニラ: 『「じー」』
嘉祥: 「ネコの手があったーっ!!」
ショコラ&バニラ: 『「にゃにゃっ!? にゃんですかぁっ!?」』
食器業者: 「ネコちゃんたち、本当に助かりました!」
食器業者: 「ありがとうございます、ほんとにありがとうございます!」
食器業者: 「では私はこれで失礼させて頂きますね!」
嘉祥: 「…………はぁ、無駄に疲れた……」
仕分け終わった食器を横目に、
椅子に腰を下ろしてついでに肩も落とす。
ショコラ: 「ご主人さま、冷たいお茶です! どうぞ!」
嘉祥: 「ありがとなショコラ。頂きます」
冷たいお茶を一息に流し込む。
何とかこれで軽食用の食器も届いたし。
そろそろ本格的に開店準備もしないとな。
……ネコの手も借りたいって言うけど。
確かにこういう時は本当に助かる時も――
嘉祥: 「…………ん?」
ショコラ: 「じー(褒めて褒めて褒めて褒めて♪)」
……褒めてオーラが見える、見えるぞ。
褒められる体勢万端で満面の笑み。
嘉祥: 「……ありがとな。ショコラとバニラのお陰で助かったよ」
ショコラ: 「うわーい! ご主人さまに褒めてもらっちゃったよバニラー!」
ショコラ: 「うわぁーーーい! ひゃっほーーーう!!」
バニラ: 「うんうん。柱の影から見守ってた甲斐があったね、よしよし」
ショコラ: 「ショコラ、ご主人さまの役に立てましたね? ね?」
ショコラ: 「やっぱりご主人さま一人じゃお仕事大変だと思うんです♪ ね? ね?」
バニラ: 「うんうん。ネコの手でも存分に役に立つ」
バニラ: 「私たちがいなかったらまだ仕分け続行中だと思う」
嘉祥: 「いやちょっと近いんだけど……」
身を乗り出して力説する2匹。
嘉祥: 「確かにショコラとバニラがいなかったら、大変なことになってたのは事実だけど……」
嘉祥: 「でもそれとこれとは別。家には帰らないとダメだ」
嘉祥: 「そもそも別にお前らに働いて欲しいとか、そういうことを言ってるわけでもなくてだな?」
ショコラ: 「…………そうですか、やっぱりダメですか……」
耳と尻尾をうなだれさせて肩を落とす。
さっきまでの勢いはどこへやら。
しょんぼりと深い溜息を吐き出す。
ショコラ: 「……お掃除でも、してきます。せっかくですし……」
うなだれたまま、とぼとぼと二階へと上がっていく。
嘉祥: 「…………」
ショコラだってバカじゃない。
無理して明るく努めてたことくらい分かってる。
でもだからと言って翻していい話ではない。
俺のことを慕ってくれるなら、なおさら。
バニラ: 「ご主人。私たちがいたら、そんなに迷惑? 悪い子?」
いつも通りの抑揚の小さな声で。
首を傾げながらバニラが問いかけてくる。
嘉祥: 「……悪い子じゃないから、ここにはいさせられないんだよ」
バニラ: 「悪い子じゃないのに、ダメなの?」
嘉祥: 「良い子だから、ダメなんだ」
バニラ: 「ふーん……?」
目をぱちくりとさせて俺の言葉を受け止める。
まるで俺の心の中を覗くように。
じっとまっすぐに俺のことを見つめていた。
バニラ: 「ヒトって難しい。ネコにはそういうのは分からない」
バニラ: 「好きならそばにいたい。少なくとも、私はそう思うけど」
嘉祥: 「バニラ……」
バニラ: 「ショコラのところ、行ってくる」
そう言い残して二階へと上がっていく。
小さな足音が遠くなって、やがて聞こえなくなる。
嘉祥: 「……ヒトって難しい、か」
誰もいなくなった店内で。
今言われたばかりの言葉を繰り返してみる。
嘉祥: 「……言われてみれば、矛盾した考え方だよな」
『ネコには分からない』
そう言われて初めてそんな単純なことに気付く。
嘉祥: 「……ネコくらい単純に生きられれば、色々と楽なんだろうけどな」
窓に貼られている店の名前に目を向けながら。
苦笑いを振り払って、届いたばかりのティーセットを片付け始めた。
バニラ: 「あれ、今日はあのたこ焼き屋がいない」
昨日と同じ夕方の公園通り。
でも今日は屋台は見当たらない。
ネコたちを実家に送ろうにも今日に限って誰もおらず。
俺も実家の鍵は置いて来てしまっていた。
だから時雨が帰宅するまで時間調整で買い物へ。
ショコラ: 「……え? あ、ご、ごめんバニラ!」
ショコラ: 「何だっけ、マタタビだっけ?」
バニラ: 「だいたいそんな感じ」
嘉祥: 「一文字たりとも合ってないだろが」
嘉祥: 「ショコラ、疲れたなら少し休んでくか?」
ショコラ: 「あ、はい、少しだけ……」
ショコラ: 「でも大丈夫ですから。心配かけてごめんなさい、ご主人さま」
嘉祥: 「……別に謝ることじゃないだろ」
困ったような笑顔で頭を下げる。
元気がない理由なんか分かり切ってるから。
だから何も言わずにいるしかない。
嘉祥: 「じゃあちょうどそこにベンチがあるし、少し休んでくか」
バニラ: 「じゃあ私、何か飲み物買ってくる」
嘉祥: 「ああ、頼む。全員分な」
バニラ: 「了解。任された」
バニラに小銭を渡してショコラをベンチに促す。
ショコラ: 「…………」
よく吹き抜ける潮風が公園の木々をざわめかせる。
誰もいない公園の中で、静かな自然の音だけが聞こえてくる。
俯いたままのショコラも隣に座る俺も黙ったまま。
穏やかな夕陽と同じように、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
ショコラ: 「……ショコラ、帰ります」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で。
でもハッキリと自分でその答えを口にする。
俺も言葉にはしないまま、ショコラの頭をそっと撫でて応えた。
ショコラ: 「……たまには、ご主人さまに電話してもいいですか?」
嘉祥: 「ああ」
ショコラ: 「……また、ご主人さまのところに遊びに来てもいいですか?」
嘉祥: 「ああ」
ショコラ: 「ご主人さまはっ……ショコラたちのこと、ちゃんと毎日思い出してくれますかっ……?」
ショコラ: 「ショコラは、離れててもっ……ご主人さまって……呼んでても、いいですかっ……?」
涙で滲む声を必死に拭いながら。
嗚咽を噛み殺してかすれた声を絞り出す。
精一杯に噛んでいる口唇が健気で、痛々しくて。
危うくこぼれそうになる無責任な言葉を力任せに抑えこむ。
嘉祥: 「……ああ。当たり前だろ」
ショコラ: 「う……うぅっ……! う、うぅぅ~っ……!! ごしゅじん、さまぁ……!!」
ショコラ: 「ごめんなさいっ……! ごしゅじんさまぁっ……!! うぅぅぅ~っ……!!」
何も言ってやれない自分がもどかしくて。虚しくて。
言葉に出来ない謝罪をこの手に詰め込んで。
出来るだけ、出来るだけ優しくショコラを撫でる。
ショコラ: 「くす……やっぱりご主人さまは、優しいですね……?」
嘉祥: 「……別に、俺は優しくなんかないよ」
ショコラ: 「ご主人さま、前もおんなじこと言ってましたから……」
嘉祥: 「前って……」
ショコラが目を細めて微笑む。
ショコラ: 「覚えてますか? ショコラとバニラを……」
ショコラ: 「ご主人さまと時雨ちゃんが、連れて帰ってくれた時のこと」
嘉祥: 「ああ。もちろん覚えてるに決まってるだろ」
……半年くらい前の寒い日。
まだ幼くてろくに喋れもしないショコラとバニラが、
道端で2匹で寄り添いながら泣いていて。
冷え切った小さな身体を抱き上げて、
家に連れて帰ったあの日のこと。
大事な家族が増えた日を、忘れようったって忘れられるはずがない。
嘉祥: 「ショコラもバニラも、最初はなかなかうちに馴染めなかったな」
ショコラ: 「あの時は、知らないおうちで知らないヒトとネコばっかりで怖くて……」
嘉祥: 「ごはんも全然食べなくて、時雨がずっと心配してたしな」
ショコラ: 「はい。とっても心配かけちゃいました」
思い出話にほんの僅かな笑い声をくすぶらせる。
ショコラ: 「……ショコラとバニラが熱を出した時のことも……覚えてますか?」
嘉祥: 「……ああ、ちゃんと覚えてる」
ショコラとバニラをうちに連れて来てから数日。
たまにほんの少しの水を飲む程度で。
相変わらず食事には手を付けてくれなかった。
寒空の下で衰弱していた身体に栄養失調が重なって。
ショコラもバニラも高熱を出して苦しんでいた。
ショコラ: 「あの時は夜中で、誰にも気づいてもらえなくて……」
ショコラ: 「とにかく苦しくて、つらくて、寂しくて……」
ショコラ: 「声も出せなくて、手も足も全然動かなくて……」
ショコラ: 「助けて、誰か助けてって思いながら、ただただ泣いてたんです……」
ショコラ: 「そしたら……」
『大丈夫だ。俺がついてるから、心配するな』
ショコラ: 「ご主人さまが、大きくてあったかい手で……撫でてくれたんですよね」
ショコラ: 「ずっと、そばで『大丈夫、大丈夫』って言い続けてくれて……」
ショコラ: 「ショコラとバニラのこと、撫で続けてくれてました……」
ショコラ: 「朝になって、病院に行くまで。ずっと、ずーっとそばに居てくれて……」
ショコラ: 「……不安で心細かったのが、全部嘘だったみたいに」
ショコラ: 「……あの時も同じこと言ってました」
ショコラ: 「『俺は別に優しくなんかない』って」
ショコラ: 「……でもショコラたちは、ご主人さまが助けてくれなかったらここにいなかったです」
ショコラ: 「あの時、ご主人さまが側にいてくれなかったら、誰も信じられないままでした」
ショコラ: 「ご主人さまのお陰で、ご飯も食べれるようになりました」
ショコラ: 「時雨ちゃんとも、みんなとも仲良くなれました」
ショコラ: 「……だからあの時から、ショコラのご主人さまはご主人さまになったんです」
ショコラ: 「ショコラはそれからずっと、優しいご主人さまのことが大好きなんですよ?」
瞳いっぱいの涙が零れないように。
困ったような、悲しいような、嬉しいような。
精一杯の、そんな笑顔を俺に向けてくれる。
ショコラ: 「だから、ショコラはご主人さまがいなくなっちゃうって聞いて……」
ショコラ: 「いてもたってもいられなくて、どうしても一緒に行きたくて……」
ショコラ: 「時雨ちゃんにお願いをしたんです」
今にも消えてしまいそうな、儚い微笑みで。
その言葉は優しくて、暖かくて。
でも届かない悲しみと虚しさが在って。
嘉祥: 「……ショコラ」
そんなことを言わせているのは、俺で。
せめてショコラの名前を呼ぶことしか出来ない。
ショコラ: 「お金のこととか難しいことは、やっぱりネコには分からないです……」
ショコラ: 「……でも」
ショコラ: 「でもやっぱり、ショコラはご主人さまのそばにいたいんです……」
ショコラ: 「ご主人さまがつらくて、大変そうなの……なんとなく分かります」
ショコラ: 「本当に、何となくですけど……」
ショコラ: 「お掃除でもお洗濯でもお料理でも、ショコラがお手伝い出来ることは何でもしますから……!」
ショコラ: 「今すぐには出来なくても、絶対にちゃんと出来るようになりますから……!」
ショコラ: 「……だから」
ショコラ: 「だから、もう一度だけ……お願いしちゃ、ダメでしょうか……?」
ショコラ: 「ショコラは……ご主人さまと一緒に、いたいんです……」
溢れそうな涙をいじらしく堪えながら。
ショコラがもう一度ハッキリとそう口にする。
『俺だって、ショコラが一緒にいてくれたら――』
こぼれてしまいそうな本音を飲み込む。
これだけ真っ直ぐに慕ってくれて。
これだけ無防備に信じてくれて、嫌いになるはずがない。
ショコラもバニラもあの日から大事な家族で。
一緒にいれば明るくて、楽しくて。
……でも、家を出て来たのは単なる俺のわがままだから。
その俺のわがままに大事な家族を巻き込んで、
余計な苦労を味わわせたくない。
『俺は、おまえらのことが大事だから――』
バニラ: 「私たちはネコだから、自分に素直なだけ」
そんな葛藤が、バニラの声で遮られる。
いつの間にか戻って来ていたバニラが、
ショコラの隣から真っ直ぐに俺を見ていた。
バニラ: 「私なら、楽しいことならショコラと一緒がいい」
バニラ: 「例えつらいことでも、ショコラと一緒にいたいと思う」
バニラ: 「だって。一緒にいれないことの方が寂しくて、つらいから」
嘉祥: 「……バニラ」
バニラ: 「本当に好きなら、迷惑かけたって一緒にいたい。それでも一緒にいたいものだと思う」
バニラ: 「私たちが幸せかどうかなんて……」
バニラ: 「いくらご主人でも、決めつけるのは違うと思うよ?」
バニラ: 「それに。大事なヒトが大変なら、なおさらそばにいたい」
バニラ: 「何が出来るかは分からないけど……」
バニラ: 「でも、つらい時にそばで励ますことくらい。出来るよ」
まるでこの夕陽みたいに優しくて。
暖かくて、柔らかい微笑み。
いつものバニラらしくない言葉が、
なおさら胸に強く沁み込んで来る。
バニラ: 「だからきっと時雨も、私たちがご主人のところに付いて行くの、許してくれた」
バニラ: 「時雨はご主人と一緒に行くことは出来ないから、代わりにお願いって」
バニラ: 「だからご主人が本当にショコラのことを想うなら、一緒にいるべきだと思う」
一点の迷いも、僅かな淀みもなく。
どこまでも素直な、ただただ真っ直ぐなだけの言葉。
『ショコラとバニラの幸せを決めるのは、俺じゃない』
何も考えられない頭の中に。
その言葉だけが、強く響き続けていた。
ショコラ: 「……例え何不自由のない暮らしでも、ご主人さまがいないのは嫌なんです」
ショコラ: 「いくら大変でも、ショコラはご主人さまと一緒にいたいんです」
ショコラ: 「だからお願いします、ご主人さまのそばにいさせて下さい」
ショコラ: 「ここが、ショコラが居たい場所なんです」
泣き出しそうな笑顔で。
でもショコラがハッキリと微笑む。
他には何もない、ひたすらに無垢で純粋なだけの言葉。
嘉祥: 「……人間がネコに何も言い返せないなんてな」
その言葉を否定出来るだけの理由は……
――もう俺のどこにも、見当たらなかった。
ショコラ&バニラ: 『「ご主人さま、それって……」\n「ご主人、それって……」』
嘉祥: 「ウチじゃ実家ほど自由には暮らせないからな?」
ショコラ: 「はいっ! 大丈夫です!」
ショコラ: 「ご主人さまがいるだけで、ショコラは幸せですからっ!」
バニラ: 「やれやれ。ついにご主人陥落」
バニラ: 「イヤよイヤよも好きのうち、だね?」
湿った空気を吹き飛ばすような満面の笑顔。
……家族だなんて言いながら信じてなかったのは、俺の方だったのかもな。
逆の立場で考えれば、とてもとても簡単なことだった。
まだまだ幼いなんて思ってたけども。
素直なぶん、ネコは人間よりも人間らしいのかもしれない。
嘉祥: 「これから頑張らなきゃな。一緒に」
ショコラ: 「はいっ♪ 毎晩大トロじゃなくて大丈夫です! たまにでいいです!」
バニラ: 「お肉もA4でいい。松坂ウシなら。脂身サイコー」
嘉祥: 「……お前ら、実家にいた時そんなもんばっかり食べてたのか」
行く先がちょっとだけ不安になりながらも。
二匹の頭を愛情を込めてくしゃくしゃと撫でつける。
嘉祥: 「よし、じゃあ商店街に戻るか」
ショコラ: 「へ? 何でですか? お買い物はもう終わったんですよね?」
嘉祥: 「お前らのお気に入りのシャンプー買わないと、だろ?」
バニラ: 「おぉーご主人、カッコいい」
バニラ: 「ついでに松坂ウシも買おう」
嘉祥: 「まぁ今日くらいはお祝いってことで、そうするかー」
ショコラ: 「やったー! お祝いパーティーですね!」
バニラ: 「ご主人太っ腹……! さすがは私たちのご主人……!」
嘉祥: 「今日だけだからな、今日だけ」
嬉しそうにはしゃぐショコラとバニラを連れ立ちながら。
これから始まる明るい新生活へ、新しい一歩を踏み出したのだった――