nekopara-scripts/vol2/jp/02_01.txt

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ショコラ: 「えー! そんなの聞いてないよ!」
ショコラ: 「ね、バニラ!? 聞いてないよね!?」
バニラ: 「聞いた。この耳でバッチリ。ぴこぴこ」
ショコラ: 「えー嘘だ! 鈴の更新テストがあるなんてショコラは聞いてないもん!」
ショコラ: 「ね、ご主人さま? 知らないですよね?」
嘉祥: 「うむ。知らない」
バニラ: 「まさかの裏切り。ブルータス、お前もか」
時雨: 「兄様はほんとケーキ作り以外はダメダメなんですから……」
時雨: 「まぁそこがまた妹心をくすぐるわけですが。ポッ」
嘉祥: 「いやまぁ……その通りなんだけど」
割と事実なので何も言い返せない。
店も時雨のマネージメントがなかったら無計画だったし。
行動力と計画性はイコールではない。うむ。
バニラ: 「ご主人も意外に抜けてるからねー」
ショコラ: 「あはは、言えてるにゃ~♪」
嘉祥: 「ショコラはこっち側だろが」
何で俺が笑われてるのだろうか。
まぁとりあえずそれは置いといて。
時雨: 「いいですか、兄様?」
時雨: 「鈴を取った後もちゃんと更新手続きがあります」
時雨: 「人間社会も日進月歩なのですから当たり前です」
時雨: 「そして問題がなければ更新頻度も期間も伸びていきますが……」
時雨: 「ショコラとバニラは取ったばかりなので割とこまめにあるのです」
時雨: 「これは事故を起こさないため、仕方のない制度ですから」
嘉祥: 「なるほど、納得」
時雨の解説に素直に頭を下げる。
ショコラ: 「こーしんてつづきって、何するんですか?」
時雨: 「まぁ主には鈴のテストの復習が中心です」
バニラ: 「それに合格出来なかったらどうなるの?」
時雨: 「鈴、剥奪ですね」
ショコラ: 「にゃにゃにゃっ、にゃんですとおぉぉおぉおぉーーーーーっっっ!?」
ショコラ: 「そ、そんな……! そんなバカな……!」
ショコラ: 「あ、あああぁあぁっっっ……! あばばばあっばばばばばばばばあばばばば!!!!」
バニラ: 「おおお……! ショコラの顔色がマリンブルーに……!」
嘉祥: 「だいぶシャレにならなさそうだけど……」
時雨: 「まぁ一応、落ちても何度かは追試が受けられますが……」
時雨: 「……この調子では戻ってきた時には鈴はないかも知れませんね」
ショコラ: 「そ、そんにゃあ……! だって、だってショコラは、ショコラはあんなに頑張ったのに!!」
ショコラ: 「その努力を無かったことにされるなんて酷い! 酷すぎますよご主人さま!!」
ショコラ: 「なんかこう、訴えた方がいいと思うんです! それは酷いって!」
嘉祥: 「いや前に合格してる試験だからな」
合格する自信ないんだろうなぁ。
さっき俺のことを『抜けてる』とか笑ってたくせに。
でも確かに前の試験の時も全然ダメだったもんなぁ。
時雨: 「試験会場が少し離れているので、兄様の代わりに私が付き添って参りますね」
時雨: 「その間、お店を閉めるわけにも行かないでしょうし……」
時雨: 「……それに、だいぶ長期戦になるかも知れませんし」
嘉祥: 「少し離れてるって……大丈夫なのか?」
時雨: 「他のネコたちの時もお母様が一緒に来てくれましたから」
時雨: 「今回もお願いすれば快諾してくれることでしょう」
嘉祥: 「あー……そうか。まぁ、それなら……」
実家に迷惑をかけまいとは思うけど。
でも店を閉めるわけには行かないし。
……ここは背に腹は変えられないか。
母さんなら嫌とは言わないだろうし……。
時雨: 「兄様からも一本連絡をいれておいてはいかがでしょうか」
時雨: 「お母様はいつも兄様のことを気にかけておられますし」
嘉祥: 「そうだな。たまには連絡がてら、頼んどくよ」
時雨: 「はい。それがいいと思います」
時雨が安心したように微笑んで頷く。
時雨も何かと俺を気にかけてくれてるし。
……俺が家を出たことで、色々と気を遣わせてるんだろうな。
感謝の気持ちを込めて時雨の頭を撫でる。
ショコラ: 「で、でもでも~? でもですよ~?」
ショコラ: 「ショコラとバニラと時雨ちゃん、3人もいなくなっちゃったらですよ?」
ショコラ: 「お店が大変なことになっちゃうんじゃないかと思うのですよ~?」
ショコラ: 「だからここはショコラに任せて、時雨ちゃんとバニラは先に――」
時雨: 「だまらっしゃい」
時雨: 「鈴の試験のひとつやふたつでうろたえるとか、それでも水無月のネコですか」
時雨: 「それに更新手続きは最短で行けば2日です」
時雨: 「そして明日はお店の定休日ですから……」
時雨: 「ちゃんと合格すれば今日1日だけお休みを頂くだけです」
時雨: 「他のネコたちもいますし、それなら問題ないですよね? 兄様」
嘉祥: 「そうだな、1日くらいどうにでもするから安心して行って来い」
ショコラ: 「んに゛ゃーっっっっ!!!」
ショコラ: 「ご主人さまが恋ネコのキモチを察してくれない! ご主人さまの鬼畜パティシエ!!」
ショコラ: 「鬼畜はえっちの時だけにして下さい!!!!」
時雨: 「だまらっしゃい! 自慢、自慢ですかそれは!?」
時雨: 「鬼畜な兄様とかステキ過ぎるのでちょっと詳しく教えなさい!!」
嘉祥: 「そういうこと聞き出すの止めて! マジで!!」
バニラ: 「まぁウチのお姉ちゃんたち、みんな鈴持ちだし問題ない」
バニラ: 「ダダこねてる間があったらとっとと行くよショコラ」
時雨: 「その通りです。早く兄様のいないところに行きましょう。ふんす」
ショコラ: 「に゛ゃあああぁあぁあぁーっっっ!!!」
ショコラ: 「ご主人さまー! 助けて、助けてご主人さまー!!」
バニラ: 「ご主人、おみやげ買ってくるね~」
時雨: 「ふふ、色々と楽しみな更新イベントになりそうですね、フフフフ……♪」
嘉祥: 「……まぁ、なるようにしかならないか」
泣き叫びながら引きずられて行くショコラに手を振りながら。
スキップしながら遠くなって行く時雨の背中を見送った。
嘉祥: 「……というわけで」
嘉祥: 「急遽3人いなくなったけど大丈夫か?」
ココナツ: 「問題ございません、お任せ下さい」
アズキ: 「そもそも普段が人数多すぎなんだよなー」
メイプル: 「あたしたちがネコじゃなかったら完全に赤字よねこの店」
シナモン: 「わたしはソレイユのお仕事楽しくて大好きですし~♪」
みんな問題なさそうな返事だった。
嘉祥: 「とりあえず、時雨たちが帰ってくるまではデリバリーをなしで行こうと思う」
嘉祥: 「それでもヤバそうだったら言ってくれ。その都度考えよう」
嘉祥: 「表の仕切りは……」
嘉祥: 「アズキ、任せていいか?」
アズキ: 「へいへい、仕事ですからやりますよー」
アズキ: 「資本主義らしい報酬に期待してんわ」
嘉祥: 「資本主義らしく働き次第で考えとくよ」
嘉祥: 「じゃあ、数日はこのメンバーでよろしく頼む」
全員: 『「はーい」「へーい」「はーい」「はーい」』
こうして臨時体制のソレイユが開店することとなった。
アズキ: 「よー嘉祥、とりあえず落ち着いたから休憩回してくぞー」
嘉祥: 「オッケー、表はアズキに任せるから好きにやってくれ」
アズキ: 「はー何でバイトで責任押し付けられなきゃなんねーんだー」
アズキ: 「ここはどこぞのバーガー屋か、オイ」
嘉祥: 「感謝してるよアズキには」
アズキ: 「へーへー口では何とでも言えるよなー」
アズキ: 「ショコバニみてーに甘いネコだと思ってんじゃねーぞ」
嘉祥: 「思ってない思ってない」
嘉祥: 「ちゃんと臨時ボーナス考えとくって。よしよし」
アズキ: 「ハッ、頭なでられたくれーでシッポ立てると思ったら大間違いだぞ」
アズキ: 「そんなお子ちゃまじゃねーんだからよー」
嘉祥: 「わかってる、わかってるって」
こんな軽口を叩きながらもしっかり働くアズキ。
口が悪いだけでネコたちの中では何気に一番高スペック。
時雨の言う通り、何だかんだやっぱり長女なんだろうなぁ。
嘉祥: 「数日はこのままで特に問題はなさそうか?」
嘉祥: 「もしかしたらだいぶ伸びるかもとか時雨が言ってたけど」
アズキ: 「まー特に問題はねーんじゃねーかな」
アズキ: 「強いて言えばナッツのアホの空回りっぷりをどうすっかって感じで」
嘉祥: 「空回りっぷり?」
アズキ: 「こないだから何か妙にやる気出してんのはいーんだけどよ」
アズキ: 「でも急にスペックが上がるわけでもねーからな」
アズキ: 「ちゃんと見てねーと余計な仕事が増えそうで危なっかしいんだよ」
嘉祥: 「まぁそれも含めて頼むぞ、お姉ちゃん」
アズキ: 「飼いネコはつれーわー、ほんとつれーわー」
アズキ: 「まぁ、出来る範囲で最善は尽くしますってことで」
ココナツ: 「ぐぬぬぬ……!」
ココナツ: 「アズキのやつ、嘉祥さまに言いたい放題……!」
ココナツ: 「ぼくだって不器用だけど出来ることあるもん、あるもん……! ぐぬぬぬぬ……!!」
メイプル: 「ココナツが厨房覗いて震えてるけど、何やってんのアレ」
シナモン: 「またアズちゃんに煽られてるんじゃない~?」
メイプル: 「はー、ほんっと良く飽きないわねぇあの2匹は」
シナモン: 「それでこそアズちゃんとナッちゃんなんですよ、あはは~」
嘉祥: 「……よし」
嘉祥: 「これで明後日の分の発注も終わり、と」
もう一度メモを見返しながら。
冷蔵庫の中身を確認してドアを閉める。
時計を見ると午後22時。
ネコたちはとっくに帰宅させたので店には自分ひとりきり。
嘉祥: 「……ショコラとバニラがいないとほんとに静かだな」
久しぶりのひとりの時間。
明日は定休日なので仕込みもなくて。
何となく手持ち無沙汰な気さえしてくる。
嘉祥: 「……たまにはDVDでも借りて来るか」
何とも言えない物寂しさを紛らわすように。
エプロンを外そうと結び目に手をかける。
ココナツ: 「失礼します……」
嘉祥: 「ん、ココナツ?」
嘉祥: 「どうした、帰ったんじゃなかったのか?」
ココナツ: 「いえ、帰ろうと思ったんですけど……その……」
ココナツがもごもごと口ごもる。
ココナツ: 「すー……は~~~~……」
ココナツ: 「嘉祥さま!」
ココナツ: 「どうか私に特訓をお願いしますっ!!」
嘉祥: 「…………特訓?」
ココナツ: 「はい、特訓です! どうかお願いします!!」
嘉祥: 「いや、突然そんなこと言われても……」
嘉祥: 「どうしたんだよ、いったい」
ココナツ: 「それは……」
ココナツがまたしても口ごもって。
意を決したように頷く。
ココナツ: 「この間、ぼく――私だって出来ることがあるんだって思ったのですが……」
ココナツ: 「でも昼間、アズキに言われたい放題だったのが悔しくて……」
嘉祥: 「言われたい放題って……」
……まぁ確かにココナツのことは色々と言ってたけど。
てかアズキはココナツ本人にも言ってたのか。
周りを見てても、性格的に容赦ないからなぁアズキは……。
ココナツ: 「だから! アズキを見返したいんです!」
ココナツ: 「ちょうどショコラもバニラもいないし、秘密特訓でレベルアップしたいんです!」
ココナツ: 「お願いします、嘉祥さま!」
ココナツ: 「こんなこと嘉祥さまくらいにしかお願い出来ないんです! お願いします!」
嘉祥: 「まぁ、ココナツがそこまで言うなら……」
ココナツが色んな仕事が出来るようになるなら。
それは店にとってもありがたいことだし。
……俺も急にひとりは寂しいなと思ってたし。
ココナツ: 「はい! よろしくお願いします、嘉祥先生!!」
こうして急遽。
ココナツの秘密特訓が幕を開けることとなった。
――そして30分後。
ココナツ: 「うぅぅぅっ……ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
ココナツ: 「ぼく、もう……端っこで、ネコ型の置物になってます……」
ココナツ: 「ぼくが颯爽とケーキ屋さんのウェイトレスなんてそもそも無理があったんだっ……」
ココナツ: 「もともとこんなカワイイ服なんて似合わないと思ってた、知ってたんだっ……」
ココナツ: 「ふぐぅうぅうぅうぅぅうぉぉぉおぉぁぁあぁぁぁっっっ…………!!!!!!」
絶望的なうめき声をあげて泣き崩れるココナツ。
もはや言葉遣いも素に戻りきっている。
気を張ってる余裕すらないんだろうけど……。
嘉祥: 「そんなに落ち込まなくても……な?」
嘉祥: 「俺だって最初から全部出来たわけじゃないし……」
ココナツ: 「嘉祥さまだって『コイツ、アカンやつや』ってドン引きしてたもん……!」
ココナツ: 「生卵はカラを入れずに割れない、混ぜれば半分くらい飛び散っちゃう……!」
ココナツ: 「掃除すればチリトリをひっくり返しての無限ループ、洗い物をすれば力入れすぎてコップが割れる……!」
ココナツ: 「レジの紙ロール交換も落としてはレッドカーペット状態になってダメになる……!」
ココナツ: 「これでお店のお手伝いとか、借りたネコの手がジャマしてるとしか言えないじゃないかっ……!!」
嘉祥: 「お、おう……いやまぁ、そうかもしれないけど……」
カップが割れた報告がちょっと多いなとは思ってたけど。
まさか原因がこんなところにあろうとは……。
いや別に消耗品だし、さして気にしてなかったけど……。
ココナツ: 「もうだめだ、ぼくはダメダメな生きる巨大エンゲル係数だ……」
ココナツ: 「もうここに置いてもらえないし、水無月を名乗る資格すらもない……」
ココナツ: 「そうだ、もういっそ旅に出よう……ひとりで旅に……」
ココナツ: 「今さら野良として生きるくらいなら、幸せな思い出のまま天国へ……!」
嘉祥: 「待て待て待て待て! 落ち着け、ほんと落ち着けココナツ!!」
嘉祥: 「と、とりあえず二階に上がろう! な!?」
嘉祥: 「晩飯食べてないんだろうし、一休みしてから考えよう! な!?」
ココナツ: 「しかしぼくは、そんなものを頂ける身分ではありませんから……!」
嘉祥: 「大盛りのオムライス作るぞ? 甘い卵でふわふわのやつ」
ココナツ: 「あ、甘い卵がふわふわで大盛りっ……!?」
ココナツ: 「そ、それってケチャップでぼくの名前書いてくれたりするのかな!? な!?」
ココナツ: 「ああああいけないいけない!! ダメだよ嘉祥さま!!」
ココナツ: 「こんなダメネコにそんな誘惑しちゃダメ! ダメぇーっっっ!!」
嘉祥: 「俺も晩飯まだだったし、いいから着替えて待ってろって」
ココナツ: 「やーっ! タダ飯食らいのネコに優しくしちゃダメですーっ!!」
ココナツ: 「後生ですから超盛りでお願いしますー!!」
嘉祥: 「超盛りな、了解した」
こうして特訓は一時休戦になった。
ココナツ: 「お、美味しいっ……! 嘉祥さまのごはん、ほんっとうに美味しいです……!!」
ココナツ: 「これ、ほんとうにいくらでもおかわりしていいんですか!?」
ココナツ: 「ぼくの[ねこせい,2]ネコ生にこんな贅沢があっていいんですか!?」
嘉祥: 「ココナツが満足出来るくらいは材料あるから大丈夫だぞ」
ココナツ: 「ありがとうございます! 嘉祥さま大好きですはぐむぐぐはぐむぐ!!!」
本当にココナツはよく食べるなぁ。
美味しそうに食べてもらえると作り甲斐があるもんだ。
ケーキ屋だけど一応料理人の端くれでもあるし。
ココナツの気持ちのいい食べっぷりを眺めながら。
紅茶の入ったマグカップを傾ける。
嘉祥: 「……うーん、それにしても」
初めて付きっきりでココナツの仕事を見たけど。
本当に超不器用としか言いようがない。
目を閉じてるんじゃないかってくらいの作業精度。
緊張しすぎて震えてるレベルで。
ココナツはこんなにもプレッシャーに弱かったのか。
運動神経が良いんだから手先の神経も良いと思ってたんだけど……。
なかなか現実は厳しい。
まぁ急ぐ必要もないから良いんだけど。
嘉祥: 「そう言えば、他のネコたちは大丈夫なのか?」
嘉祥: 「晩飯とか風呂とかそういうのとか」
嘉祥: 「ショコラとバニラに付き添ってもらってるから、今日は時雨も母さんもいないけど……」
ココナツ: 「あ、そうですね。時雨さまも旦那さまも奥さまもいないですけど、ごくん」
ココナツ: 「食材も置いてってくれてますし、ある程度はみんな料理も出来ますし」
ココナツ: 「時雨さまがもしものお金も置いていってくれてるから心配はご無用です」
ココナツ: 「みんな鈴持ちですから外食も出来ますし、デリバリーサービスもありますから」
ココナツ: 「あぁ~……それに比べてぼくは……」
ココナツ: 「特訓の成果も出ず、嘉祥さまの最高に美味しいオムライスにがっついててもぐもぐもぐもぐ」
ココナツ: 「あ~もうだめだ~、ぼくはほんとにダメなネコだぁ~もぐもぐもぐもぐ」
イジけてるんだか開き直ってるのか。
まぁ食欲があるくらい元気があるなら何よりだ。
とりあえず食事中くらいは話題を変えよう。
嘉祥: 「そう言えば前から聞きたかったんだけどさ」
ココナツ: 「ふぁい? なんでしょうか?」
嘉祥: 「ココナツはいつから言葉遣い変えたんだ?」
ココナツ: 「あ……それは……」
嘉祥: 「いつの間にか自分のことも『私』って言うようになってたし」
嘉祥: 「ちょっと前までは他のネコたちも『お姉ちゃん』って呼んでたしさ」
嘉祥: 「俺のことも、いつの間にか『さま』付けで呼ぶようになって」
嘉祥: 「何でだろうって気になってたんだけど」
ココナツ: 「…………」
ココナツが食べる手を止めて視線を落とす。
明らかに困った様子に助け船を出す。
嘉祥: 「いや悪い。答えづらいなら別にいいんだ」
ココナツ: 「いえ、別に言いづらいというほどのことではないんですが……」
ココナツ: 「…………」
ココナツ: 「……私は、もう仔ネコじゃないから」
スプーンを置いて。
小さな声でそう呟く。
ココナツ: 「ショコラとバニラっていう妹も出来たし……」
ココナツ: 「鈴だって満点で取って、アズキにだっていつまでも面倒見られてるわけじゃないし……」
ココナツ: 「……いつの間にか、どのお姉ちゃんよりも体が大きくなってて」
ココナツ: 「もう、仔ネコみたいなこと言ってられないって思ったから……」
ココナツ: 「……だから、言葉遣いも態度も変えようと思ったんです」
ココナツ: 「……やっぱり、変ですか?」
困ったような、諦めたような微笑み。
見たことない表情に言葉が詰まる。
嘉祥: 「ココナツ……」
『ネコも人も成長する過程は色々とある』
この間の、時雨の言葉を思い出す。
何を口にすればいいのか、一瞬迷う。
ココナツなりに考えてのことだから。
俺が口を出すことじゃない。
……だけど。
ココナツは家族だから。
家族だから、言ってあげなきゃいけないこと。
大事に想うから、言わなきゃいけないことがあるから。
ココナツのことをまっすぐに見て答える。
嘉祥: 「……そうだな、変だよ」
ココナツ: 「え……変、ですか……?」
嘉祥: 「ココナツも、自分で分かってるんだろ?」
嘉祥: 「自分が無理して背伸びしてるって」
嘉祥: 「だからそんなつらそうな顔してるんだろ」
ココナツ: 「嘉祥……さま……」
ココナツ: 「…………っ」
口唇の端を小さく噛んで。
何かを言おうとして。
その言葉を飲み込んで。
諦めたように視線を逸らす。
ココナツ: 「…………はい」
ココナツ: 「自分でも、ずっと……分かってました……」
ココナツ: 「……無理して、出来てないって」
ココナツ: 「でも、でも……みんな出来ることなのに……」
ココナツ: 「ぼくだけ、出来ないことがたくさんあるなんて……」
嘉祥: 「ココナツ」
ココナツ: 「嘉祥……さま……?」
ココナツの手を握って。
出来るだけ優しくココナツの手を包む。
嘉祥: 「上手くやろうとなんて、しないでいい」
嘉祥: 「良いんだよ、仔ネコのままだって」
ココナツ: 「でも、それじゃ――」
ココナツの言葉を遮るように首を振って。
少しだけ包む手に力を込める。
嘉祥: 「ココナツが逆の立場だったら……」
嘉祥: 「家族の誰かが無理して、つらそうな顔してるの見たら、どう思う?」
嘉祥: 「俺はココナツのことは家族で、兄妹みたいなもんだと思ってるから」
嘉祥: 「だからココナツが無理してる顔なんて見たくない」
ココナツ: 「……嘉祥、さま」
嘉祥: 「店の仕事のことだってそうだ」
嘉祥: 「俺は家族が、ココナツが手伝いに来てくれて嬉しい」
嘉祥: 「仕事が出来る出来ないじゃなくて」
嘉祥: 「俺のことを、自分のことみたいに一生懸命に手伝ってくれるだけで嬉しい」
嘉祥: 「それなのに上手く出来ないから自分に価値がないなんて……」
嘉祥: 「そんな悲しいこと言うなよ。そんなこと言われたらこっちだって悲しくなるんだよ」
ココナツ: 「嘉祥さま……」
涙を浮かべた瞳を細めて。
強張っていた手から力が抜ける。
嘉祥: 「早く立派なネコになりたいっていうのもココナツらしさだと思う」
嘉祥: 「出来ることであれば、特訓だって付き合うし応援だってする。でもな?」
嘉祥: 「『ぼく』の方がココナツらしいし、無理に背伸びなんてしなくていい」
嘉祥: 「堅苦しい言葉遣いも止めて、もっとココナツらしく一緒にいて欲しい」
嘉祥: 「そんなことする前からずっと、ココナツは大事な家族……だろ?」
涙をいっぱいに浮かべながら。
俺の問いかけにゆっくりと頷いて応えてくれる。
ココナツ: 「……うん、ありがとう」
ココナツ: 「ぼく……間違えてた、ごめんなさい……」
ココナツ: 「早く大人になりたくて、でもなれなくて……」
ココナツ: 「悲しい想いをさせて、ごめんなさい」
ココナツ: 「それと――」
ココナツ: 「ぼくのこと、心配してくれてありがとう」
小さく頷いて笑顔を咲かせてくれる。
その笑顔が愛おしくて。
ココナツの手をぎゅっと握り返す。
ココナツ: 「うん。もう大丈夫だよ?」
ココナツ: 「ダメでも不器用でも、ぼくはぼくらしくすることにする」
ココナツ: 「大切な『お兄ちゃん』がそれで良いって、言ってくれたから」
ココナツが俺の手におでこをコツンとぶつけて。
あったかいココナツの体温がじんわりと伝わってくる。
それだけでもう大丈夫だと思えるくらいに暖かい。
ココナツ: 「ぼく、水無月家のネコにしてもらえて本当に良かった」
ココナツ: 「誰にでも、ぼくは世界一幸せなネコだって言えるよ」
嘉祥: 「ああ、俺の方こそ家族でいてくれてありがとうな」
ココナツ: 「ううん、ぼくの方こそ……本当の本当に、ありがとう」
愛おしいココナツの頭をそっと抱き寄せて。
時間が経つのも忘れて優しく撫で続けていた。
嘉祥: 「肩の力を抜いて~」
ココナツ: 「深呼吸~……す~、はぁぁ~……」
嘉祥: 「心を落ち着けて~」
ココナツ: 「ゆっくり、丁寧に……」
ピシッ。
ポトッ。
ココナツ: 「やった、やったよ! 見て、ほら! 卵のカラが入ってないよ!」
ココナツ: 「割れたカラもこんな綺麗に! いやったぁあぁあぁぁんああぁあぁーーーっっっ!!」
ゴールを決めたサッカー選手ばりのガッツポーズ。
やっぱり余計な緊張で手先が動いてなかっただけだったんだなぁ。
こんなことくらいで、そこまでガチガチに力が入ってるのもすごいと思うけど。
ともかく進歩には間違いないので一緒に喜んでおく。
ココナツ: 「これで洗い物もお掃除も紙ロール交換も何でもバッチリだよ!」
ココナツ: 「本当にそれもこれも全部お兄ちゃんのお陰――」
ココナツ: 「――はっ!?」
ココナツ: 「ご、ごめんなさい! 嘉祥さま――さんの、お陰さまで……」
申し訳無さそうな上目遣いで俺を見る。
その様子に思わず笑い声が溢れてしまう。
嘉祥: 「俺は別にいいぞ? 『お兄ちゃん』って呼んでくれても」
ココナツ: 「……ほんとに? ほんとにいいの?」
ココナツ: 「その、こんなにデッカくて可愛くないネコが……そんな呼び方しても……?」
嘉祥: 「ついさっきに可愛い妹だと思ってるって言ったろ?」
嘉祥: 「ココナツがそう呼びたいなら全然構わないよ」
ココナツ: 「嘉祥さん……」
ココナツ: 「その、ぼくね? 時雨さま――時雨ちゃんを見てて……」
ココナツ: 「ずっと、お兄ちゃんって羨ましいなって、思ってたから……」
ココナツ: 「だからさっき、兄妹みたいって言ってくれて、ほんとに嬉しかったんだ……」
ココナツ: 「ぼく、体ばっかり大きくなっちゃったから……」
ココナツ: 「妹だなんて、お兄ちゃんにそんな風に思ってもらえるなんて思ってなくて――」
ぽんぽんと頭を撫でてあげる。
嘉祥: 「それでも、俺より小さいだろ?」
嘉祥: 「それに体が大きかろうが小さかろうが、ココナツは十分に可愛いぞ?」
嘉祥: 「俺も時雨がいるけど、兄として慕ってもらえるのは嬉しいしな」
ココナツ: 「お兄、ちゃん……」
ココナツ: 「うん、じゃあ……お兄ちゃんって、呼ばせてもらうね?」
ココナツ: 「お兄ちゃん、お兄ちゃん……えへへ、ぼくのお兄ちゃん……♪」
イタズラっぽい笑顔をはにかませながら。
幸せの呪文みたいに繰り返し呟く。
今までの背伸びしてた態度とあまりにギャップがあり過ぎて。
思わず笑い声がこぼれてしまう。
嘉祥: 「ほんとに可愛いな、ココナツは」
ココナツ: 「ほんと? ほんとにほんと?」
ココナツ: 「お兄ちゃんにそう言ってもらえたら嬉しー♪ えへへー♪」
ニコニコの笑顔で耳をピコピコさせる。
この素直さ、ショコラみたいだなぁ。
本当のココナツはこんなに可愛らしかったとは。
前の無理してる感じより全然可愛い。本当に。
嘉祥: 「と、もう23時過ぎてるんだな」
時計を見ると23時も半ばを過ぎ。
いつの間にか随分と遅くなっていた。
嘉祥: 「時間も遅いし、今日はウチに泊まっていくか?」
嘉祥: 「ショコラとバニラのベッドも空いてるし」
ココナツ: 「いいの? ほんとに?」
ココナツ: 「やったぁ! お兄ちゃんのおうちにお泊りうれしーにゃー♪」
嘉祥: 「じゃあもう時間も遅いから、先に風呂入ってきなさい」
嘉祥: 「その間に寝れる準備しとくから」
ココナツ: 「はーい♪ ありがとう、お兄ちゃん♪」
時雨: 「兄様、この妹めに夜のご寵愛のお言葉を頂きたく思います」
嘉祥: 「おう、愛しき妹。どうした」
時雨: 「おうふッ……! 兄様から、い、愛しき妹なんて返しが来るとは……!」
時雨: 「に、兄様は最近、この妹めを殺しにかかっているようですね、くぅぅっ……♪」
時雨: 「あ、バニラ。ちょっと鼻血拭く用にバスタオル持ってきて下さい」
電話越しに『はーい』とバニラの返事が聞こえる。
嘉祥: 「……大丈夫か?」
時雨: 「すみません、少々お戯れを」
時雨: 「ショコラとバニラの進捗を伝えておこうと思いまして」
時雨: 「とりあえず明日に帰るのは不可能となりました」
時雨: 「遅くとも一週間はかからないと思いますが、戻った時に鈴がない可能性もございます」
嘉祥: 「了解した。時雨に任せる」
時雨: 「最善は尽くしますので。それではまた連絡を致します」
時雨: 「愛してますわ、兄様」
ショコラ: 「ご、ご主人さまぁーっ! たっ、助けっ助けてぇええぇええおおおおうおおうおうおああぁあぁあぁ――」
嘉祥: 「……最長で一週間か」
時雨と母さんが行ってくれて助かったなぁ。
最後のショコラの断末魔は聞こえなかったことにしておこう。
ネコのことに関しては俺より時雨の方が間違いない。
嘉祥: 「ん? 実家からも電話……?」
時雨は基本携帯からかけてくるし。
母さんも今はショコラバニラに付いてくれてて。
だとすると、実家から電話をかけて来るとしたら……。
アズキ: 「よー、嘉祥。ナッツのアホはそっちにいんだよな? 一応確認でよ」
アズキ: 「どうせ何か余計な手間かけさせてんだろーけど、特に問題ねーのか?」
嘉祥: 「ああ、ウチにいるよ。特に何もないから大丈夫」
アズキ: 「おー、別に何もねーならいーんだけどよ」
アズキ: 「てかナッツがテメーで連絡いれろっつー話だよ」
嘉祥: 「先に連絡しとくべきだったな、悪い」
嘉祥: 「本人は今風呂入ってるんだ」
嘉祥: 「今日はもう遅いからウチに泊まらせて明日の朝に送ってくよ」
アズキ: 「ったく、ほんとに手間のかかるダメネコは困るよなー」
嘉祥: 「アズキもみんなのこと気にしてお姉ちゃんしてるな。お疲れ」
アズキ: 「把握してねーと時雨がうるせーんだよ」
アズキ: 「無事ならいいや。あとは適当に頼むわ」
嘉祥: 「……アズキも大変だな」
世話焼きだけど口が悪いせいで。
ココナツも素直に甘えられなくなったんだろうな。
ネコも人もちょっとのスレ違いが色々とあるもんだ。
ココナツ: 「ふぁー。お兄ちゃん、お風呂あがりましたにゃー」
嘉祥: 「おかえり。風呂場の使い方で困ったりしなかったか――」
嘉祥: 「……って、ココナツ?」
嘉祥: 「なんで俺のシャツ着てんだよ……」
見事に裸+ワイシャツ。
しかも多分これ、洗濯機に入ってたやつだし。
……とは言っても、ショコラとバニラの服じゃサイズが全く合わないだろうしなぁ。
若干こう、目の毒だけど……本人がこれで良さそうだし、まぁいっか。
パンツは履いてるし、新しいシャツだけ出してあげよう。うん。
自分の中でそんな結論を出して頷く。
嘉祥: 「あ、髪の毛ちゃんと乾かしてないだろ。だいぶ濡れてるぞ」
ココナツ: 「長いとなかなか乾かないからいつもこんな感じで……えへへ……」
ココナツ: 「いつもは時雨ちゃんが乾かしてくれたりするんだけど」
ココナツ: 「自分だと面倒くさくてついつい……」
ごまかすように苦笑い。
嘉祥: 「しょうがないな、じゃあちょっとこっち来い」
ココナツ: 「しょうがないって……?」
ココナツ: 「にゃー♪ きもちーにゃあー♪」
ココナツ: 「お兄ちゃんの指先、優しくてすっごくきもちー♪」
嘉祥: 「熱かったりしたらちゃんと言えよ?」
ココナツ: 「はーい、全然だいじょぶー♪」
熱風がココナツの顔に当たらないように気にしつつ。
同じところに当て続けないように丁寧に乾かしていく。
ココナツ: 「お兄ちゃん、すっごく手馴れてるね」
嘉祥: 「昔は時雨、今はショコラバニラの面倒見てるからな」
ココナツ: 「そっか、それは年季入ってるね。上手なわけにゃー」
ココナツ: 「でもいいの? お兄ちゃんにこんなに甘えちゃって……」
ココナツ: 「今日だってお仕事で疲れてるのに……」
嘉祥: 「バカ。こんなくらいで何言ってんだ」
嘉祥: 「こんなことくらいで甘えるも何もないだろ?」
嘉祥: 「俺がやってあげたいからやってるの」
嘉祥: 「ココナツだって、いつも店のことで俺を助けてくれてるだろ?」
嘉祥: 「このくらいのことで甘えてるなんてないし、お互い様だろ」
ココナツ: 「……うん。ぼくもお店の手伝い、したくてしてる」
ココナツ: 「その、大事な家族で、お兄ちゃんの妹……だもんね?」
嘉祥: 「そういうことだ」
ココナツ: 「そういうことなんだね、えへへ」
ココナツ: 「……嬉しいな、何度言ってもらっても」
嘉祥: 「そんなことくらい何度でも言ってあげるけどな」
ココナツ: 「うん、何度でも言って欲しいにゃ」
嘉祥: 「お望みとあらば」
軽いやり取りをしつつ毛先の方を乾かしていく。
嘉祥: 「あ、尻尾もまだ乾いてないのか」
嘉祥: 「じゃあ一緒にブラッシングもやっちゃうぞ?」
ココナツ: 「にゃあぁっ……! あっ、んっ……お、お兄ちゃん……!」
ココナツ: 「し、しっぽは敏感だから、優しく……ん、んぁっ……」
嘉祥: 「あ、悪い。こんなふさふさの尻尾はココナツが初めてだから、力加減が分からなくて」
嘉祥: 「もうちょっと優しくするから、いい感じのところで教えてな」
さっきよりも遠くからドライヤーを当てて。
柔らかく優しめに尻尾をなぞっていく。
ココナツ: 「う、うん……さっきより、すごく、いい感じで……んぅっ……」
ココナツ: 「すごく、いいのに……その、くすぐったキモチよくて……はぁ……」
ココナツ: 「ぼく、がまん、する……はぁ、する、けど……んんぅぅぅっ……」
ココナツ: 「はぁ、はぁぁぁっ……♪ にゃ、にゃにこれぇ……♪」
ココナツ: 「時雨ちゃんに、しっぽ触られるのと……ぜんぜん違うよぉ……♪」
ココナツ: 「お兄ちゃんのゆび、なんか、すごいぞくぞくってぇ……はぁぁっ……♪」
嘉祥: 「ぞくぞく? じゃあ止めた方がいいか?」
ココナツ: 「だ、だいじょうぶ……♪ ぼく、がんばるから……」
ココナツ: 「そ、そのままぁ……♪ にゃぁ……あっ、ああぁぁっ……♪」
嘉祥: 「はい、これで尻尾も終わり」
嘉祥: 「ココナツ、大丈夫か?」
ココナツ: 「はぁ、はぁ……にゃ、にゃんとか……はぁ、はぁ……」
ココナツ: 「お風呂、入ったばっかりにゃのに……ヘンな汗かいちゃったにゃぁ……」
ココナツが深呼吸して荒い息を整える。
俺ももっと尻尾の乾かし方を勉強しなきゃな。
ひとりそんなことを思って頷く。
ココナツ: 「お兄ちゃん、ありがとね?」
ココナツ: 「こんな風に甘やかしてもらったの、すごく久々ですっごく嬉しい」
嘉祥: 「こんなことで良ければいつでも」
嘉祥: 「だからココナツも、頑張らないように頑張ってな」
ココナツ: 「くす、頑張らないように頑張るってヘンな言葉だけどね」
嘉祥: 「……確かにヘンだな」
嘉祥: 「でもまぁ俺も応援してるってことで」
ココナツ: 「うん。ありがとう、お兄ちゃん」
ふわふわの毛並みの髪を撫でながら。
ふたりして笑顔で頷き合う。
ココナツ: 「ふぁぁ……く、あぁ~……」
ココナツ: 「ふぁ、ご、ごめんなさ……あくびが、くぁぁ~……」
時計を見るともう0時を回っていた。
時雨のライフサイクル的にはもうとっくに寝てる時間。
嘉祥: 「流石に今日はだいぶ遅くなっちゃったな」
嘉祥: 「ショコラとバニラのベッドシーツ変えといたから」
嘉祥: 「明日は休みだしゆっくり寝てていいぞ」
ココナツ: 「そんなことまでしてくれてありがと、お兄ちゃん」
ココナツ: 「じゃあお言葉に甘えておやすみなさい」
嘉祥: 「ああ、おやすみ」
ココナツ: 「……お兄ちゃん?」
背中を向けたココナツが振り返る。
ココナツが顔を俯かせてモジモジ。
嘉祥: 「ん? どうした?」
ココナツ: 「えっと……その、ね……?」
ココナツ: 「……お兄ちゃん、その……」
一瞬だけためらって。
意を決したように一歩俺に体を寄せる。
ココナツ: 「……お兄ちゃん。今日はほんとに色々とありがと」
ココナツ: 「この間のミルクの時もいっぱい褒めてくれたし……」
ココナツ: 「今日もいっぱい嬉しいこと言ってくれて……」
ココナツ: 「ほんとのほんとに、ぼくは幸せなネコだなって思ったよ」
ぎゅっと抱きつく手に力がこもって。
本物の猫がするように頬をすり寄せてくれる。
ココナツ: 「……ぼく、本当に頑張るから」
ココナツ: 「もうウジウジしたり迷ったりしないって、約束する」
嘉祥: 「……ココナツ」
ココナツ: 「最後にそれが言いたかったんだ」
ココナツ: 「おやすみなさい、お兄ちゃん。また明日ね」
嘉祥: 「……約束、か」
風呂あがりの良い匂いと。
柔らかい感触と、あったかい体温と。
予想外の不意打ちにちょっとだけ顔が熱くなる。
嘉祥: 「……ココナツも可愛いからなぁ」
……って、兄として慕ってくれてるネコに俺は何を。
一瞬、そんなことを思ってしまった自分の頬を叩く。
嘉祥: 「よし、俺も風呂に入って寝る準備しようかな」
自分に言い聞かせるように。
そう呟きながら風呂場へと向かう。
ココナツがいてくれたお陰で。
一度も寂しいと思うことがなかった夜だった。